頑固だった父
父を一言で表すなら、頑固な人だった。
子どもの頃、夜に叔父と騒いでいた私を「うるさい」と叱り、父にデレキと呼ばれる鉄の棒で殴られたことがある。
今なら考えられないことかもしれない。
しかし当時の父は、言葉で諭すより先に手が出るような、昔ながらの父親だった。
母とは正反対だった。
母は多くを言わず、私を叱った記憶もほとんどない。
父は頑固で、不器用で、感情をうまく表す人ではなかった。
それでも、仕事だけは真面目に続けた。
どんなことがあっても働く。
家族を養う。
父もまた、言葉ではなく仕事をする背中で、自分の役目を果たしていたのだと思う。
母を失ったあとの父
母は、父より二年早く亡くなった。
母がいなくなってからの父は、まるで抜け殻のようだった。
気丈に見えていた男が、連れ合いを失った途端に力をなくしていく。
その姿を見ながら、私は思った。
男というものは、案外弱いものなのだな、と。
父にとって母は、私が考えていた以上に大きな存在だったのだろう。
二人は性格こそ正反対だった。
それでも長い年月を一緒に生き、互いに足りないところを補い合っていたのかもしれない。
母を失った父の背中を見て、初めてそのことに気付いた。
自衛隊を辞めた理由
両親の病気をきっかけに、私は自衛隊を辞めた。
もちろん、それだけが退職の理由ではない。
自衛隊で過ごした年月の中には、今でもあまり振り返りたくないことがある。
しかし、両親の病気が退職を決断する一つの要因になったことは間違いない。
私は退職後の三年間、両親のそばで過ごした。
それまで親孝行らしいことを、ほとんどしてこなかった。
心のどこかに、
「今までの親不孝を清算したい」
という思いがあったのだと思う。
母が入院している時には、毎日のように病院へ通った。
父のことも、できる限り見守った。
もっとしてあげられることがあったかもしれない。
それでも、あの時の私にできることは、それが精一杯だった。
だから、両親の最期について後悔はない。
あまりにも早かった別れ
父も母も、懸命に働いて私を育ててくれた。
自分たちの楽しみより、家族の生活を優先していたのだと思う。
それほど一生懸命に生きた二人にも、最後の日はやってきた。
人が亡くなることは分かっている。
しかし、どれほど長く生きても、別れはあまりにも早く訪れる。
もう少し時間があると思っていた。
もう少し話ができると思っていた。
けれど、その「もう少し」は与えられなかった。
両親を見送ったあと、私の中には、役目を終えたような思いと、説明できない空虚さが残った。
父の三回忌
父の三回忌を終えた日、私は一つの区切りを感じた。
母を見送り、父を見送り、三回忌まで終えた。
私は心の中で思った。
「これで、自分の責任は果たした。」
その考えが正しかったのかは分からない。
親孝行というものに、終わりがあるのかも分からない。
それでも当時の私は、そう考えなければ次へ進めなかったのだと思う。
両親のために生きた三年間が終わった。
しかし、その先で何をすればよいのかは、まだ見えていなかった。
旅に出よう
父の三回忌を終えた私は、旅に出ようと思った。
どこへ行くのか。
何をするのか。
決まっていたわけではない。
ただ、その場所にとどまり続けることができなかった。
両親のいなくなった家。
自衛隊を辞めたあとの自分。
これから先、何者として生きるのか。
何も分からなかった。
だから私は、その答えを探すように、その後の一年をあちらこちらで過ごした。
今振り返れば、それは目的のない放浪だったのかもしれない。
あるいは、立ち止まってしまわないために、動き続けていただけなのかもしれない。
父に今、一言だけ伝えるなら、
「お疲れ様」
それだけでいい。
頑固で、不器用で、仕事一筋だった父。
母を失ってから、力をなくした父。
あなたもまた、自分の時代を懸命に生きた人だったのだと、今は思っている。
そして父の三回忌を終えた日、私は人生の一区切りをつけるように旅へ出た。
その旅の先に、今の私につながる出会いが待っていることを、その時の私はまだ知らなかった。
(つづく)