一冊の本との出会い
私は若い頃からノートを書いていた。
毎日の出来事を書く日記ではない。
その時々に思ったこと、悩んだこと、自分の心の中を書き留めるノートだった。
その始まりは、一冊の本との出会いだった。
『二十歳の原点』
高野悦子さんの日記である。
高校生だった私は、この本に大きな衝撃を受けた。
「人はここまで自分の心を書くことができるのか。」
そう思った。
そして私も、自分の心を書くようになった。
誰かに見せるためではない。
誰かに読んでもらうためでもない。
自分だけが読む、自分だけのノートだった。
人生の節目に現れる一人の女性
そのノートは何十年も続いた。
振り返ってみると、その中には一人の女性のことが何度も書かれていた。
書こうと思って書いたわけではない。
気が付くと、その人のことを書いていた。
札幌を離れ旭川へ行った時。
札幌へ仕事や用事で戻った時。
離婚し、ノートがなくなった時。
両親を見送り、言葉では説明できない虚無感に襲われた時。
人生の節目になるたびに、その人は静かに私の心の中へ現れた。
なぜ忘れられなかったのか
不思議だった。
なぜなのだろう。
考え続けて、ようやく一つだけ分かったことがある。
高校時代から就職して札幌で暮らしていた頃まで、彼女はいつも私の隣にいた。
その時は、それが当たり前だった。
だから、その存在の大きさに気付かなかった。
失って初めて、その存在の大きさを知ったのである。
卒業アルバムから切り抜かれていた写真も、その気持ちの表れだったのかもしれない。
しかし、いつ切り抜いたのかは今でも思い出せない。
人の記憶とは不思議なものだ。
出来事は忘れても、心だけは覚えている。
逃げてきた人生
70歳になった今、私はよく考える。
私は逃げてばかりの人生だった。
言うべきことを言えず、
謝るべき時に謝れず、
気持ちを伝えられないまま、その場を離れてきた。
だからこそ、このブログを書いている。
人生の最後の直線には、もう逃げ道はないと思うからだ。
もし30秒だけ会えるなら
もし、たった30秒だけ会えるなら、私はこう伝えたい。
「元気でいますか。
ずっと気にかけていました。
高校時代から就職した後まで、あなたはいつも私のそばにいました。
それなのに私は何も言わずに離れてしまった。
あのことが、この50年間ずっと心に引っ掛かっていました。
ただ、一度だけ謝りたかった。」
その言葉が届く日が来るのか、それとも来ないのかは分からない。
それでも今の私には、この気持ちを書き残すことに意味があると思っている。
このブログを書き始めて、私はようやく一つのことに気付いた。
私は彼女を探しているのではない。
あの時、伝えられなかった「ありがとう」と「ごめんなさい」を探しているのかもしれない。
人生の最後の直線には、もう逃げ道はない。
だから私は今日も、この続きを書こうと思う。
(つづく)