前回の記事「50年前のあなたへ」を書いた後、私はずっと考えていた。
なぜ私は何も告げずにあなたの前から去ったのだろうか。
50年以上も前のことだから、記憶も曖昧になっている。
それでも、今思い出せる範囲で書いてみようと思う。
理由は二つあった。
一つ目は、私自身の未熟さだった。
高校を卒業し、私は札幌へ就職した。
あなたも知っているように、同じ部活だった女性がいた。
その人も中学校からの同級生で、あなたの友人だった。
札幌へ出てきて間もない頃、その女性から部屋へ誘われた。
「お茶でも飲まない?」
そんな軽い言葉だったと思う。
そして、その日私はその女性と関係を持ってしまった。
今振り返れば、そこに愛情があったとは思えない。
若さゆえの軽率さだったのだろう。
雰囲気に流されたと言えば聞こえはいいが、自分の行動に責任を持てない未熟な青年だった。
帰り際、私は二度と会わないことを伝えた。
今考えれば、自分勝手にもほどがある。
相手がどう思うかなど考えていなかった。
数日後、私はあなたに会いに行った。
その時のことは今でも覚えている。
あなたは私に尋ねた。
「○○さんと関係したの?」
私は言葉を失った。
そして、とっさにごまかした。
「冗談だろ」
「そんなわけないじゃないか」
そう言ったと思う。
本当のことを言う勇気がなかった。
私はその後も何事もなかったようにあなたに会い続けた。
しかし、自分の中では何もなかったことにはできなかった。
会うたびに後ろめたかった。
会うたびに苦しかった。
そして、その苦しさから逃げるようになっていった。
二つ目の理由がある。
その頃の私は人生そのものに迷っていた。
高校生の頃から、生きることや死ぬことについて考えることが多かった。
悩みも多かった。
そんな時、ある宗教団体の勧誘を受けた。
「悩みはありませんか?」
その一言が始まりだった。
今なら分かる。
本当に求めていたのは宗教ではなく、自分を救ってくれる何かだったのだ。
しかし当時の私は、それが分からなかった。
ここへ行けば悩みから解放される。
ここへ行けば生きる意味が見つかる。
そう思い込み、私はその団体へ通うようになった。
1974年の春から翌年の春頃までだったと思う。
今では記憶も断片的だ。
それでも、その時期の私は自分自身を見失っていた。
やがてその団体とも離れた。
しかし、あなたに会う勇気はもう残っていなかった。
私は自分の弱さも、自分の愚かさも知っていた。
だからこそ、あなたに会うことが恥ずかしかった。
今振り返れば、本当につまらない理由だと思う。
もっと勇気があれば。
もっと正直であれば。
違う人生もあったのかもしれない。
しかし、人生に「もし」はない。
それでも不思議なことがある。
結婚した時。
離婚した時。
両親を見送った時。
仕事を辞めた時。
人生の節目ごとに、なぜかあなたを思い出していた。
幸せだったか。
元気でいるだろうか。
そんなことばかり考えていた。
だから今、こうして文章を書いている。
許してほしいとは思わない。
ただ、あの時の私は弱かった。
そして、その弱さから逃げ続けた。
それだけは伝えておきたいと思う。
(つづく)