父の三回忌を終えた私は、札幌へ戻りました。
札幌へ戻る理由は、一つではありませんでした。
仕事を探したいという気持ちもありました。
もう一度、自分の人生を立て直したいという思いもありました。
そして、心のどこかでは、あの人に会えるかもしれないという小さな期待もありました。
五十年前、何も告げずに別れた彼女です。
もちろん、会えるあてもありません。
それでも札幌の街を歩けば、どこかですれ違うことくらいあるのではないか。
そんなことを考えていたのです。
今思えば、ずいぶん都合のいい話です。
それでも、あの頃の私は本気でそう思っていました。
しかし、現実は私の期待とは違いました。
仕事は見つからず、お金も底をつきました。
やがて生活保護を受けることになり、NPO法人が運営するアパートで暮らし始めました。
人生で初めての経験でした。
制度に助けられたことには、今でも感謝しています。
あの制度がなければ、私は本当に困っていたでしょう。
それでも、私の心は落ち着きませんでした。
「このままでいいのだろうか。」
そんな思いが、毎日のように頭をよぎりました。
生活保護を受けながら暮らすことに慣れてしまう。
それだけは、自分のプライドが許しませんでした。
私はもう一度、自分で働きたかったのです。
お金のためだけではありません。
自分はまだ働ける。
まだ社会の役に立てる。
そのことを、自分自身に証明したかったのです。
仕事があると聞けば、断りませんでした。
税務署の確定申告のアルバイトにも行きました。
生活保護を受けていた期間は約八か月でしたが、実際に支給を受けたのは四か月ほどです。
アルバイトを始めると、その分だけ支給額は減ります。
私は、それでよかったと思っています。
生活保護から一日でも早く抜け出したい。
その気持ちの方がずっと強かったからです。
そんな頃、一つの出会いがありました。
私が暮らしていたアパートの経営者が、女性社長に私を紹介してくれたのです。
後で聞いた話ですが、その経営者は私のことを見て、
「面白いやつがいる。」
そう話したそうです。
ちょうど女性社長は、除雪の仕事をしてくれる人を探していました。
その紹介で、私は除雪の仕事をすることになりました。
これが、私と社長との最初の出会いでした。
社長は、とにかく行動が早い人でした。
いや、早いというより、強引と言った方が正しいかもしれません。
でも、一度面倒を見ると決めた人のことは、最後まで面倒を見る。
そんな人でした。
ある日、社長から言われました。
「ヘルパーにならない?」
私は少し考えようと思いました。
ところが、その返事をする前でした。
「〇日から講習だからね。」
そう言われたのです。
「えっ?」
返事もしていないのに、二級ヘルパー講習の申し込みは終わっていました。
驚いているうちに講習は終わり、今度は、
「一級ヘルパーも申し込んだから。」
今回も相談はありません。
そして最後には、
「あなたには介護センターの管理者をしてもらいます。」
経験もない私に、管理者。
あの時は驚くしかありませんでした。
今振り返ると、人生とは不思議なものです。
私は介護の仕事を探していたわけではありません。
介護の世界に入りたいと思っていたわけでもありません。
ただ、一日でも早く自分の力で生活したい。
その一心で働いていました。
その結果、人生は思いもよらない方向へ進み始めたのです。
介護の仕事を始めて間もない頃、私は初めて利用者さんの看取りを経験しました。
その時、ふと父と母の顔が浮かびました。
「もし、この資格をあの頃持っていたら……。」
もっと楽にしてあげられたかもしれない。
もっと違う介護ができたかもしれない。
そんな思いが胸をよぎりました。
もちろん、過去は変えられません。
でも、その日から私の心の中には、一つの思いが残りました。
「親にできなかった分、この人たちにしてあげよう。」
誰かに教えられた言葉ではありません。
私が、自分自身に約束した言葉です。
札幌へ戻った理由は、彼女に会えるかもしれないという小さな期待から始まりました。
でも、札幌で私を待っていたのは、思いがけない仕事と、新しい人生でした。
人生は、自分で描いた地図どおりには進みません。
だからこそ、面白いのかもしれません。
(つづく)