「あの時、あの試験に受かっていれば…。」
以前の記事でも書きましたが、私は六人が受けた試験で、ただ一人だけ不合格になりました。
七十歳になった今でも、ときどきそう思うことがあります。
あの一度の挫折が、私の人生を少しずつ違う方向へ進ませていったからです。
試験に落ちた私は、すぐに配置換えを願い出ました。
新しく配属されたのは、六か月間だけ勤務する臨時勤務の部署。
それまで毎日のように汗を流していた体力練成や戦技訓練とは、まったく違う世界でした。
仕事は広報。
制服も作業服も着ません。
朝、朝礼だけは全員で集まります。
しかし朝礼が終わると、それぞれが市内の高校や職業安定所へ向かい、自衛官募集のためのPR活動を行います。
ところが、私には頼れる先生も、紹介してくれる知人もいませんでした。
今日はどこへ行けばいいのか。
誰に会えばいいのか。
そんなことさえ分からない日が少なくありませんでした。
行く場所もない。
やることもない。
時間だけが、ゆっくりと過ぎていきます。
そして、その空いた時間を埋めるように、私はパチンコ店へ足を運ぶようになりました。
最初は、本当に暇つぶしのつもりでした。
「少し遊んで帰ろう。」
そんな軽い気持ちです。
ところが、負けると悔しい。
「次は取り返せる。」
そう思って、また店へ向かう。
気づけば、それが当たり前になっていました。
やがて手持ちのお金だけでは足りなくなります。
私は消費者金融からお金を借りました。
自衛官という立場は信用があったのでしょう。
借りること自体は、驚くほど簡単でした。
一社で返済が苦しくなると、別の会社から借りる。
その繰り返しです。
当時の私は、それがどれほど危険なことなのか、本当の意味では理解していませんでした。
「勝てば返せる。」
ただ、それだけを信じていたのです。
今振り返れば、あの頃の私は、もうギャンブルを楽しんではいませんでした。
勝つことではなく、負けを取り戻すことだけを考えて生きていました。
借金は少しずつ増え、心にも余裕がなくなっていきます。
そして、その借金は、自衛隊生活での勤務成績にも少しずつ影を落としていくことになりました。
競馬を始めるのは、まだずっと後のことです。
私のギャンブル依存は、パチンコとスロットから始まりました。
あの頃の私は、それが依存症への入り口だとは思ってもいませんでした。
家族を。
友人を。
そして、何より両親を裏切り続けることになるとは、この時は想像もしていなかったのです。
この闇は、五十歳で自衛隊を早期退職するまで続くことになります。
あの頃の私は、自分でも気づかないうちに、少しずつ道を外れていきました。
ギャンブルは楽しみではなく、現実から目を背ける時間へと変わっていったのです。
この頃の出来事には、今でも詳しく書くことができないことがあります。
それほど、自分にとって重い時間でした。
いつか書ける日が来るかもしれません。
でも、今はまだ、その時ではありません。
(第11話へ続く)