
はじめに──70歳の今、私は「幸せ者」かもしれない
今年、私は70歳になった。
これまでの人生を振り返ると、胸を張って「幸せだった」とはとても言えない。
それでも、「生きていてよかった」と少しだけ思えるようになったのは、歳をとったからかもしれない。
人としてダメだった過去──私はすべてを裏切ってきた
– 借金は返さない
– 家族は壊した
– 努力をしたことはない
– 本も読まず、勉強も嫌い
– 自分の快楽だけを追い続けて生きてきた
そんな私が今、生きてここにいるというのは、奇跡としか言いようがない。
唯一続いたもの──それはギャンブルだけだった
人生で何かを続けたことはない。
だが、ギャンブルだけは別だった。
最初はパチンコにのめり込み、借金を重ね、ついには闇金にまで手を出した。
家族を失い、娘とも絶縁になった。
それでもパチンコをやめられなかった。
パチンコをやめられたのは「競馬」があったから
60歳を過ぎて、私はようやくパチンコをやめた。
それができたのは「競馬」があったからだ。
パチンコより短時間で結果が出る競馬の方が、私には合っていた。
50歳頃から競馬に移行し、結果的にパチンコからは20年近く遠ざかることになった。
今でも、競馬だけが私のギャンブル依存症を抑えるものだと思っている。
ギャンブル依存症とは「麻薬」と同じだった
「自分は病気なんだ」と理解しても、やめられなかった。
ギャンブルは、感情も理性も超えて心を奪う。
一人では抜け出せない、誰にも理解されない、底なしの沼のようなものだった。
借金できなくなって、ようやく立ち止まれた
ただ、ギャンブルは「金を借りること」が前提になる。
もう借りられなくなって、ようやく私は立ち止まった。
人を傷つけることに、どこかで疲れ、限界を感じたのかもしれない。
70歳の今、ようやく考える「どう生きて死ぬか」
誰にも祝われず、孤独の中で70歳を迎えた。
それでも、私は生きている。
これまでの生き方を恥じるが、嘘はつかず、これからの人生を静かに生きたいと思っている。
– もう人を裏切らない
– もう借金をしない
– もう誰も傷つけない
それが、私なりの「人生の締めくくり」だ。
誰かへ──もし、今、苦しんでいる人がいるなら
私は、自分のような人間が「人生をやり直せた」とは言えない。
だが、「やり直すことを考えられるようになった」のは事実だ。
70歳でも、遅すぎることはない。
どんな過去があっても、「今からどう生きるか」は、自分で選べる。
おわりに
私はまだ生きている。
それがどういう意味を持つのか、これから探していくしかない。
ギャンブルに人生を奪われた70年だったが、最後くらいは自分で選びたい。
「どう生き、どう死ぬか」
その答えを見つけるまで、私はもう少し生きてみようと思う。