私のギャンブル遍歴2

ギャンブル狂いは全てに不幸を担ぎ込む

かつての私は、ギャンブルの虜であった。前に書いた。

その名も、パチンコ狂い。
妻との離婚、最愛の子供との別れ、サラ金の調停。
それらを乗り越えるため、厳しい日々の中で借金の返済に励んでいた。

そして、1年数か月という時間をかけて、ようやく全ての借財を返し終えた。
自らの努力が実を結んだ時、私の胸は一時の安堵で満たされた。

しかし、その安堵も束の間、かつての誘惑が再び私を呼び戻した。
仕事を終えると、私の足は自然とあの場所、パチンコ屋へと向かっていたのだ。

パチンコの音楽と明滅する光に心奪われ、気付けば、閉店時間までの長い時間をそこで過ごしていた。
そして、終われば安い酒場でグラスを傾け、日常の疲れと酔いに身を任せた。

ある晩、酔った足取りで家路につこうとした時、暗がりから甘く危うい声が私を捉えた。
「ちょっと遊ばない?」彼女は立んぼうという者であった。

飲んでいたせいか?興味本位から?その誘惑に応じたのだった。
その一夜が、私の人生に新たな問題をもたらした。

彼女との関係は深まり、私の生活はさらに狂わさせられていった。
借金は増え、彼女との関係を終わらせようとすると、彼女は私の会社や実家にまで電話をかけてきた。

私が公務員という立場をやめようと考えた最大の理由がこの女性であった。

元の妻の名前を使い、サラ金から金を借りる。
私の携帯電話を隠し、私の連絡先、友人関係をメモを取った。
私の出勤後に男を連れ込んでいた。
私の車のどこかにGPSをつけた。(知り合いに探偵がいた。)
ある夜息苦しいので目を開けると包丁を右手に持ち、左手で私の首を絞めていた。
月曜日から金曜日まで勤務先に電話し上司に私の悪口を言っていた(数週間)

少し挙げただけでも恐ろしいことばかりだったと今更ながら思う。
別れるために私が出した答えは「職を辞する」ことだった。

私は20年務めた職をやめた。
この年は、母の癌が告知され、父の脳梗塞(軽度)が重なり、退職が容易だったのだ。

私は親を見るという名目で職を辞したが、本音のところではこの女から離れることだった。

退職から2年、両親が他界した。
なんの親孝行もできなかった私は死ぬまで悔いることになるだろう。

現実に今でも悔やんでいる。

この女性との関係を断つためには、10年もの時間が必要だった。

自らの人生が呪われているのではないか?

長い、長い10年。
私はギャンブルとこの女性によって、自らの人生が呪われているのではないかと感じていた。

今、私はその時期を振り返り、禍根を残しながら人生を歩んでいる。
ギャンブルという誘惑、そしてあの女性との過ち、それらを克服すること。
それが私にとって、真の自由を手にすることだったのです。。

さて、私は私は前を向いて歩けているのか?
新たな人生の道を進んでるのか?

パチンコ狂いは克服した。女性との関係も断ち切った。
多額な借金もない。

私のギャンブル依存症は完治したのでしょうか?

ここでいつもぶち当たるのが「競馬」はギャンブルか?
「株」はギャンブルか?

その問いに答えが出ないのは、ギャンブル依存症が完治ではない。
そんなことも考えています。

投資はギャンブルなら競馬も株もギャンブル。
投資がギャンブルではないなら競馬も株も依存症から完治。

今回はここまでにしましょう。