妻は私のノートを読んだ。
それは日記のようなものだった。
毎日の出来事を書いていたわけではない。
だが、自分の気持ちや考えを断片的に書き留めていた。
そして、その中には高校卒業後に離れた一人の女性への思いも残されていた。
ある日、そのノートを妻が見つけた。
そして読んでしまった。
その夜は大喧嘩になった。
「そんなに好きな人がいるのに、なぜ私と結婚したの?」
今でも正確な言葉は覚えていない。
ただ、妻が深く傷ついていたことだけは覚えている。
私は必死に説明しようとした。
しかし説明できなかった。
なぜ50年近く前の出来事が、自分の心の中に残り続けていたのか。
なぜノートに書き続けていたのか。
自分でもよく分からなかったからだ。
言葉にしようとするほど、言い訳のように聞こえた。
妻の気持ちを理解していなかったわけではない。
だが、どう伝えればいいのか分からなかった。
それから夫婦の間には見えない壁ができた。
以前のように笑い合うことも少なくなった。
時間だけが過ぎていった。
そして、ある日。
仕事を終えて家に帰った。
玄関を開ける。
いつもと変わらないはずの家だった。
だが、何かがおかしかった。
静かだった。
リビングへ向かうと、そこには黄色いごみ袋が一つだけ置かれていた。
家具も生活の気配もなくなっていた。
妻も子どもたちもいなかった。
もぬけの空だった。
あの光景は今でも忘れられない。
広く感じたリビング。
聞こえるはずの声のない家。
そして、机の中にあったはずのノートも消えていた。
その日を境に、家族もノートも私の前から姿を消した。
やがて離婚へと進んでいった。
今振り返ると、あのノートだけが離婚の原因だったとは思わない。
夫婦の間には、それまでにも様々なすれ違いがあったのだろう。
ただ、あのノートが決定的なきっかけになったことは間違いない。
もしあの時、もっと正直に話せていたら。
もしあの時、自分の気持ちをうまく伝えられていたら。
そんなことを考えることもある。
しかし人生に「もし」はない。
70歳になった今、思うことがある。
あのノートに書かれていたのは恋愛ではなく、自分の中に残り続けた記憶だったのではないかということだ。
だからといって、妻を傷つけてよかった理由にはならない。
失った時間は戻らない。
それでも、あの日の出来事もまた私の人生の一部だった。
今はそう受け止めている。
それが私の人生で初めての結婚、離婚だった。それ以来家庭を持ったことはない。
(つづく)